2005年02月08日

なんだかどうも自分でもよくわかりませんが、夢の世界が重要な気がして不安でなりません。
それは、予知夢であるとか、夢占いとか、夢と現が逆さまだったことにやがて気づくだとか、そういったドラマの予感ではなく、夢が自分の裏側というか影というか、日ごろ表に出ない部分そのものであり、それが日に日に確固たる世界を築きつつあることへの不安・焦りなのです。
普段の生活に少なからず不満を持って暮らしているに比べて、夢の世界は冒険に満ちて、人からは、あるいは好かれ、あるいは戦い、熱い時代のうねりを感じながら暮らしているのです。そしてその世界は、ただの一夜限りの夢ではありません。ここ数年の間に、夢の世界が連続性を持ち始めているのです。駅はかつて見た夢に出てきた駅ですし、店も見たことがあり、鉄道もなじみの鉄道です。以前は新装開店していた店が寂れて店じまいしていたり、夏に来た町を冬に再び訪れたりします。
私の裏側が肥大し、質量を持ち始めているという不思議な確信があるのです。このままでは表側の私がますます曖昧になり、やがて飲み込まれてしまうかもしれません。
こうなったら夢の面白さを楽しんでいるわけにはいかず、裏と表を同じ自分の世界と認め、同じにし、一人の全き人間として自我を固めてしまうべきなのかもしれないと今の自分を危ぶみながら、しかしそれにしては、夢の世界は格別で、現を捨てて自分の裏側の夢に飲み込まれてしまいたいという、恥ずかしい欲望もあるのです。
世の人々は、いったいこれをどのようにコントロールしているのか気になり、またそれを気にすること自体が情けなくもあり、イジイジと畳の目を数えて1時間ほど過ごすのが、ここ最近の日課となっております。

ですます調で書くと、文章を書くのがたのしい。
すらすらとどうでもいい文章がかけてうれしい。

というわけで、今日見た夢は、分厚い料理の本から修士論文のネタを見つけなければならないと教授に言いつかった夢でした。「こんなに分厚いのだから、必ず見つかる!」と厳しく指導していただきながら、英語で書かれた料理の本を読みました。きっとすぐに料理の腕があがるだろうと、料理の写真を見ながら自分で作ったように気になっていました。
もう一本の夢は、町を散歩する夢でした。そこは前にも散歩した町で、前はラーメン横丁がにぎやかだったのですが、今回は2軒のラーメン屋を残すのみとなっていました。
前にも通った細いS字路に入ると、まえと同じく木の枝が道に覆いかぶさっていました。

Posted by skiyo at 2005年02月08日 00:17 | TrackBack
Comments
Post a comment









Remember personal info?